ミベットblog

心と身体、エンタメ(エンターテイメント)と音楽と飲食と旅などから学んだ事、気づいた事、これからの事などをチャレンジしながら発信して世界を救うブログ

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10年という月日

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皆さんこんばんわ、こんにちは。渡辺直人です。

 

 

昨日の3月11日で、ちょうど東北で起きた震災から早いもので10年が経ちました。自分は東北の秋田出身なんで、その近い場所でとてつもない事が起こった事は今でもYouTubeなどで、定期的に色々見て、被害の大きさなどを改めて見て考えさせられる出来事だと思います。

 

 

ちょうどその時は前職の自転車屋の東京の文京区の後楽園店で、まだその時はスタッフでした。

 

 

14時46分に地震は起こりました。東京でも震度5強の揺れが起き、古いビルの一階にある自転車屋でしたが、即座に外に出て上の方を見たら、そのビルがものすごく揺れていました。周りにいた人達もこぞって外に出てきて何事かとちょっとしたパニックになりました。

 

 

自転車店でラジオを常にかけていたので、そこから震源地は岩手県沖だったので、1番に秋田の実家がヤバいんじゃないかと思い電話をかけましたが、繋がりませんでした。後日無事だったと言う事は聞いたので良かった事を思い出します。

 

 

そこからラジオに耳を傾けながら、30分くらいして1人のおじさんが自転車を買いに来ました。さっきの地震ヤバかったですね。なんて話してたらおじさんがまだ自分しか買いに来てないんだね。と言ってて、その時はその言った事に対して??な感じでしたが、時間を追う事にその言ってた意味が分かりました。

 

 

次々にお客さんが来て、とりあえず1番安い自転車下さいと言って来て、すぐに乗れるように整備をしていきますが、それも追いつかないくらい初めて自転車屋で行列を見る事になりました。その時店長はちょうど休みで、ヘルプで来てくれてた方とお客さんを捌いてましたが、自分もまだそんなに歴も長くない状態だったので、自分がカウンターで手続き業務を行い、もう1人は自転車整備をすると言う流れになってました。

 

 

そこから休む暇もなく閉店の20時までずっとフル回転でした。後々思ったのは、その日は金曜日で次の日が休みと言う方がオフィス街の土地柄もあり、みんな自転車で帰るって感じでした。遠い方でその店から4時間くらいかけて帰った埼玉県の方とかが居たのを思い出します。

 

 

小さな店だったので、100台も置けないような所だったのですが、中にあった自転車がほぼ無くなるまで自転車が売れました。

 

 

同じ系列店で、0時まで開けて買いに来るお客さんの対応をしてた所もあったそうです。

 

 

自分のとこは閉店の20時くらいにはちょうど客足が途絶えたので、休憩もする時間が無かったので、向かいにあったコンビニへちょっと食べ物買いに行ったら、すでにおにぎりやパンなどは全くない状態でした。そこから東京でこんな事態になってるんだから、震源地はもっと深刻な状況になってるんじゃないかと、その時ようやく事の大きさを実感して来た感じもありました。

 

 

自分も後楽園から当時西東京に住んでたので、自転車通勤を毎日50キロくらい走ってたのですが、更に記憶にある出来事が。

 

 

公共機関が止まってしまってたので、みんな帰る足がなく、車は渋滞で全く進む事が出来ない状態で、とにかく自分の家に歩いて帰ろうとしてる人達で、歩道もめちゃくちゃ混雑してた光景が今でも鮮明に思い出します。

 

 

自分は自転車だったので、その渋滞に巻き込まれる事は無かったのですが、その人だかりを背にしながらってのがこれまた思い出します。

 

 

東京でこの様な事態だったのですが、改めてYouTubeなどで当時の様子などを見るともっと大変な状況になってたのを見ると、何とも言えない感じになりますが、でもこの10年でかなり取り戻して来た感じはありますね。人間のすごさも同時に見れてますね。いつまでもこの出来事は忘れてはいけない事です。

 

 

今日はその当時の自分の様子を書いてみたブログになります。

 

 

今はコロナと言う状況でもありますが、いち早くいつもの日常になる事も願って。

 

 

何かちょっと真面目に書いてみました。笑

 

 

渡辺直人

 

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